2022年3月3日 桜田門外の変

安政五戊午年三月三日於イテ桜田御門外ニ水府脱士之輩会盟シテ雪中ニ大老彦根侯ヲ襲撃之図
Anonymous Japanese 1860 - "Saigo Takamori and Okubo Toshimichi", p.29, パブリック・ドメイン

今日は3月3日です。桜田門外の変。

ひな祭りとはまったく違うお話しです。

1860年、安政7年3月3日に江戸城門外で水戸藩からの脱藩者と薩摩藩士が彦根藩の行列を襲撃し、大老井伊直弼を暗殺した事件です。
将軍継嗣問題と天皇の勅許のない日米修好通商条約で不満を持つ水戸藩の一部に、時の大老井伊直弼は徹底的な弾圧を加えます。安政の大獄です。天皇の勅許を巡っては水戸藩内でも議論が紛糾し、安政の大獄の首謀である井伊直弼を討ち、薩摩藩の挙兵を待つとして、脱藩、潜伏し、3月3日の桜田門外で待ち伏せします。水戸藩脱藩者17名、薩摩藩士1名です。この事件後、後はキズを負い落命、捕縛され獄門、切腹し、生き延びたのは2名。彦根藩は直弼以外に死者8名、重軽傷5名。
ちょっとひな祭りの日にしては生臭かったでしょうか。ちょっと反省しています。

上巳,桃の節句

上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。

古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。

雛祭り

女の子の健やかな成長を願う伝統行事。女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。

上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。

雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となった。

元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。

耳の日

日本耳鼻咽喉科学会が1956(昭和31)年に制定。
「み(3)み(3)」の語呂合せ。また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。

耳かきの日

耳かき具メーカー・レーベン販売が制定。
「耳の日」であることから。

民放ラジオの日

日本民間放送連盟ラジオ委員会が2008(平成20)年に制定。
「耳の日」であることから。

平和の日

1984(昭和59)年の国際ペンクラブ東京大会で、日本ペンクラブの発案により制定され、翌1985(昭和60)年から世界中で実施された。
「女の子の健やかな成長を祝う雛祭りは平和の象徴である」との考えから。

女のゼネストの日

1997(平成9)年から全国各地の実行委員会が実施。
男女共同参画社会を目指し、「男女平等基本法」制定を求めて女性が立ち上がる日。この日が女の子の節句であることから、この日に実施することになった。
1996(平成8)年に来日したアイスランドのフィンボガドチル大統領の演説がきっかけになり制定された。アイスランドでは1975(昭和50)年と1985(昭和60)年に「女のゼネスト」を行い、何万人もの女性が仕事を放棄して首都レイキャビクに終結し、これを契機に初の女性大統領が誕生した。

金魚の日

日本鑑賞魚振興会が制定。
江戸時代、雛祭りの時に金魚を一緒に飾ったことから。

結納の日

全国結納品組合連合会が制定。
結婚式の「三三九度」から。
ハナユメのアンケートでは、結納をした、略式結納をしたと答えた人が全体の20%。顔合わせをしたが、72.8%。結納も顔合わせもしなかったは7.2%。他の結婚関連のサイトでもほぼ同様の結果です。
昨年はコロナの影響もあり、結納をしなかったカップルはもっと多いかもしれません。

サルサの日

ダンスの一つサルサに関する活動を行っている有限会社サルサホットラインジャパンが制定。
303→サンマルサン→サルサの語呂合せ。

ジグソーパズルの日

ジグソーパズルメーカー会が制定。
数字の3を組み合わせるとジグソーパズルのピースの形に見えることから。

三の日

日本三大協会が1993(平成5)年に制定。
日本三大協会は、「三種の神器」「日本三景」等、日本で古来より三つで括ると安定すると考えられたのはなぜか、等を研究している団体である。

三十三観音の日

全国各地の三十三観音霊場で作る「三十三観音ネットワーク会議」が2010(平成22)年の発足会議にて制定。

桃の日

1999(平成11)年に日本たばこ産業(JT)が、同社の製品「桃の天然水」のPRの為に制定。
桃の節句であることから。

闘鶏の節句

宮中では平安時代から旧暦の3月3日に闘鶏が行われていた。

解放記念日 [ブルガリア]

1878年のこの日、オスマン帝国から独立してブルガリア王国が成立した。

国名は、国民の人種名ブルガール人に由来する。意味は「ボルガ河流域から来た人」。大河を意味するボルガと人を意味するガリに、ラテン語の地名接尾語イアから成る。1908年にブルガリア帝国が成立したが、48年に王政が廃され人民共和国が成立。90年民主化されて現在の国名に変更された。

首都はソフィア。国土は約11.1万平方メートル(日本の約3分の1)、人口は708万人(2017年 世界銀行)。OECD(経済協力開発機構)の統計によれば、主要国1人当たりのヨーグルトの年間消費量は32㎏で、ブルガリアが世界トップ。ちなみに日本は年間5㎏。


号外をつくりました。

だれかの誕生日

ケント・デリカット Kent Delicat

(1955年、カナダ:タレント)
カナダ アルバータ州 レスブリッジ出身。1974年北海道に宣教師として来日。帰国後大学を卒業し、会社を設立。1983年再来日。翌年フジテレビ『笑っていいとも』のコーナー“なるほど・だ・ニッポン”に出演し人気者に。明るくユニークなキャラクターでテレビ・CMなど幅広い分野で活躍。主な出演作品に、日本テレビ『世界まる見え!テレビ特捜部』、NHK朝の『連続テレビ小説「さくら」』、ミュージカル『シンドバットの大冒険2003』ほか多数。LORIEN ENTERPRISEという制作会社を自ら創設。制作したドキュメンタリー『日本の心』は全米でO.Aされ、高い評価をうけた。地元ソルトレイクシティで開催の冬季五輪'02にはボランティアとしても活動。

ジーコ Zico 

(1953年、ブラジル:サッカー(監督))
ブラジルのキンチーノ(リオ・デ・ジャネイロ州)生まれ。ワールドカップに三度出場し、最高成績は1978年アルゼンチン大会の3位。ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンと組んだ「黄金の中盤」の中心となり、華麗なサッカーを披露した。1986年メキシコ大会では、準々決勝でフランスと名勝負を演じながらペナルティー・キック戦で姿を消した。1981年のトヨタカップではフラメンゴ(ブラジル)の主将としてプレー、イングランドのリバプールを降して優勝。1991年(平成3)に来日、鹿島アントラーズの発足にあたって大きな役割を果たした。2002年7月、日本代表の監督に就任。2006年ワールドカップドイツ大会に日本を導いたが、本大会では2敗1分。ワールドカップ終了後代表監督を退任、トルコのクラブチーム、フェネルバフチェの監督となるが、2008年に退任。

大森一樹

 (1952年、映画監督)
大阪出身。京都府立医大在学中にシナリオオレンジロード急行(エクスプレス)」で城戸賞受賞,昭和53年みずから監督。55年「ヒポクラテスたち」を監督,57年製作会社ディレクターズ・カンパニーに参加。「恋する女たち」が62年文化庁優秀映画賞,63年日本アカデミー賞優秀脚本賞・優秀監督賞。のち「ゴジラVSビオランテ」などを手がける。平成12年大阪電気通信大教授,17年大阪芸大教授。《デジタル版 日本人名大辞典+Plus》

坪田譲治 

(1890年、小説家,童話作家『風の中の子供』)[1982年7月7日歿]
岡山県生れ。早大英文科卒。小川未明を訪ねて文学を志す。小説《正太の馬》などを発表する一方,また《赤い鳥》に童話を書いた。1935年の短編小説《お化けの世界》で文壇の注目を受け,続いて《風の中の子供》《子供の四季》を新聞に連載,小説家として認められる一方,1935年童話集《魔法》《狐狩り》も刊行,以後両分野で活躍した。1963年,童話雑誌《びわの実学校》を刊行。《百科事典マイペディア》

正宗白鳥

 (1879年、小説家,劇作家,文藝評論家)[1962年10月28日歿]
岡山県和気郡穂浪村(備前市)に,旧家(豪農)正宗家の浦二,美禰の長男として生まれる。弟敦夫,得三郎はそれぞれ国文学者,画家として知られる。虚弱な幼時の生の不安と恐怖が生まれながらの自然主義者といわれる独自のニヒリズムを育てた。旧藩校閑谷黌に学び,明治29(1896)年上京して東京専門学校(早大)英語専修科に入学,キリスト教夏期学校で内村鑑三に学び,翌年,植村正久により受洗。さらに史学科,文学科を経て母校出版部へ,明治36年には読売新聞社に入社した。翌年処女作「寂寞」,明治40年には最初の短編集『紅塵』を刊行。41年『早稲田文学』連載の「何処へ」は出口なき青年の苦悩を描いて「泥人形」(1911)とともに自然主義の代表作となる。また,故郷の人たちを描く「五月幟」,「入江のほとり」,「牛部屋の臭ひ」(1916)などのほか,「安土の春」「光秀紹巴」(ともに1926)などの戯曲,昭和3~4(1928~29)年の外遊後の「文壇人物評論」,トルストイの家出問題をめぐる小林秀雄との論争,再度の外遊後の「文壇的自叙伝」(1938)などの評論活動がある。戦後は「人間嫌ひ」「日本脱出」などのほか,父母兄弟の死を描いた作品群があり,1950年文化勲章。「リー兄さん」(1961)が遺作となった。臨終時に植村正久の娘環牧師に信仰を告白したため,没後論議を呼んだ。《朝日日本歴史人物事典》

グラハム・ベル Alexander Graham Bell

(1847年、英・米:教育者,電話発明)[1922年8月2日歿]
元・ボストン大学教授,元・アメリカ地理学会会長。エジンバラ(英国)生まれ。
祖父、父は発生生理学が専門で、父の視話法を受け継ぎ、聾唖学校を開く。1872年ボストン大学で発生生理学教授となる。1876年ワトソンとともに研究開発した電話の特許権を得て、1877年ベル電話社を設立。1881年電話回線がボストン〜プロビデンス間に開通。その後、ウェスタン・エレクトリック社、ベル電話研究所などからなるベル・システムを作る。フランスよりボルタ賞、レジョン・ドヌール勲章を受章。また、ボルタ研究所を創設し、蓄音機開発で得た収入を聾唖者のためのボルタ・ビューローの維持に提供したほか、「サイエンス」誌の創刊など幅広い活動を続けた。

少し前の今日

振込手数料が引き下げの可能性

これは、実際、10月から引き下げられました。
大手銀行の他行あて振込手数料は220円~550円が165円~440円に。
ネット銀行も追従して、75円から145円に引き下げました。
料金は銀行によって異なります。

2021年3月4日 《ANNnewsCH》
「振込手数料」値下げも 銀行間送金手数料が半額へ

銀行業界でつくる「全国銀行資金決済ネットワーク」が銀行間の送金手数料を今の半額程度に引き下げる方向で調整していることが分かりました。「振込手数料」が安くなる可能性があります。  銀行間でお金をやり取りする際には、送る銀行が受け取る銀行に対して3万円未満で117円、3万円以上で162円の手数料を支払っています。  関係者によりますと、これを10月から一律で62円にする方向で最終調整が進んでいるということです。  各銀行は利用客が支払う「振込手数料」の見直しも行います。利用客の負担が数十円程度安くなる可能性があります。

ANNnewsCH