2023年2月20日 旅券の日

コロナも落ち着いてきて、海外にも出かけたい。さて、パスポートの有効期限は?

日本国のパスポート
wikipedia

2月20日月曜日
旅券の日

外務省が1998(平成10)年に制定。
1878(明治11)年のこの日、「海外旅券規則」が外務省布達第1号として制定され、「旅券」という用語が日本の法令上初めて使用されました。
これを記念して生まれた「旅券の日」,あなたも大切なパスポートを確認する日にしてみてください。なお、それまでは、「御印章」「海外行免状」と呼んでいました。

パスポートは何のため?

海外旅行に必要なパスポート。それは日本政府が,海外であなたが日本人であることとあなたの氏名・生年月日などを証明する国際的身分証明書。また,万一何かが起こったときに渡航先国政府に対してあなたに必要な保護と援助を与えるよう要請する重要な公文書です。現在日本国民の約4人に1人がパスポートを所持しています。

意外に多い国内での紛失・盗難件数

パスポートの紛失・盗難件数は年間約4万1千件(平成30年)。実はそのうちの約8割以上(約3万3千件)は日本国内で起きています。
パスポートの紛失は,しまい忘れ,誤ってゴミと一緒に捨てた,引っ越しの際の紛失など不注意によるものが多くを占めています。最近は空き巣によりパスポートが盗難の被害にあうケースも報告されています。 帰国後は決まった場所に確実に保管して紛失を防ぐとともに,次回使用する際に見あたらなくて困ることがないよう時々確認するよう心がけてください。

国によっては,入国審査においてパスポートに一定以上の有効期間が残っていることを求めています。パスポートの所在を確認するだけでなく,お持ちのパスポートがいつまで有効なのかも併せて確認しましょう。また、入国に必要な残存有効期間については,日本にある渡航先国の大使館,総領事館に確認してください。

世界社会正義の日(World Day of Social Justice)

2008(平成20)年の国連総会で制定。2009(平成21)年から実施。
世界社会正義の日は、社会正義の必要性を啓発するための国際デー。毎年2月20日に実施される。国連総会が2007年11月26日に宣言し、1995年に開催された世界社会開発サミットの目的に沿って行動するよう加盟国に要請した。
国連、アメリカ図書館協会、国際労働機関などの組織がこの日に社会正義の重要性をアピールしている。

交通事故死ゼロを目指す日

日本政府が「生活安心プロジェクト」の一環として2008(平成20)年から実施。
2月20日と、春・秋の全国交通安全運動の期間中の4月10日・9月30日。

歌舞伎の日

1607(慶長12)年のこの日、出雲の阿国が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露した。

普通選挙の日

1928(昭和3)年のこの日、日本で初めて普通選挙が実施された。
納税額に関係なく、すべての男性に選挙権が与えられた。女性も参加した完全な普通選挙が実施されるようになったのは1946(昭和21)年4月10日の総選挙からである。

アレルギーの日

日本アレルギー協会が1995(平成7)年に制定。
1966(昭和41)年のこの日、免疫学者の石坂公成・照子夫妻が、ブタクサによる花粉症の研究からアレルギーを起こす原因となる免疫グロブリンE(lgE)を発見したことを発表した。

尿もれ克服の日

排尿障害の病気を克服した女性らで作る団体「ひまわり会」が2005(平成17)年に制定。
「尿(2)も(英語でtoo=2)れ(0)」の語呂合せ。

県政発足記念日 [愛媛県]

1873(明治6)年のこの日、石鉄県と神山県が合併して愛媛県が誕生した。
1973(昭和48)年に最初の記念行事が行われ、「愛媛県章」「愛媛の歌」が制定された。

今日がお誕生日の人

  • 1943年 - アントニオ猪木、プロレスラー、実業家(~ 2022年)
    神奈川県横浜市出身。父親は猪木佐次郎、母は文子(旧姓:相良)。中学校入学後も生活は厳しく、13歳の時に貧困を抜け出せるかもしれないという希望から、母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡る。ブラジル移住後最初の1年半は、農場で早朝5時から夕方の5時までコーヒー豆の収穫などを中心に過酷な労働を強いられた。
    ブラジル移住後、陸上競技選手として現地の大会に出場し、砲丸投げで優勝するなど、その身体能力を発揮する。1960年(昭和35年)4月11日、興行でサンパウロを訪れていた力道山から直接スカウトされて日本へ帰国し、日本プロレスに入団。ジャイアント馬場のデビューと同日の1960年(昭和35年)9月30日、本名の猪木寛至で、台東区体育館で大木金太郎を相手にデビュー。1962年(昭和37年)11月9日、沖縄県那覇市での試合で、リングネームアントニオ猪木に改名。その後、プロレスラーとしては新日本プロレスの創業や異種格闘技戦で活躍。政治家としては参議院議員(2期)、スポーツ平和党代表、次世代の党国民運動局長兼参議院政策調査会長、日本を元気にする会最高顧問、同代表などを歴任。