2023年6月27日 メディア・リテラシーの日

6月26日 火曜日

インターネットの普及で、誰もが情報を発信できるようになりました。ネットの情報は玉石混交。ウソもホントも入り交じっています。
真偽を見分けるのは、簡単ではありません。

メディア・リテラシーの日

テレビ信州が制定。1994年のこの日、松本サリン事件があり、事件現場近くに住む無実の男性がマスコミにより犯人扱いされる報道被害があった。
1994年6月27日にオウム真理教による「松本サリン事件」が発生しました。このテロ事件は、実は一人の会社員をあたかも真犯人であるかのように報道し続けた、報道被害事件でもありました。そこで、テレビ信州は「メディア・リテラシー活動」の起点となった「松本サリン事件」の日を忘れないよう、記念日としました。「メディア・リテラシー」はともすると情報の受け手の問題として語られますが、発信する側にこそ「メディア・リテラシー」が必要だと考えてのことなのでしょう。(Insight Now

ちらし寿司の日

卵焼きなどの調理用食材を製造販売する広島県の株式会社あじかんが制定。
岡山のちらし寿司「ばら寿司」が生まれるきっかけとなった備前岡山藩主・池田光政の命日。

演説の日

1874年のこの日、慶応義塾の三田演説館で日本初の演説会が行われた。
「演説」という言葉は慶応義塾を創設した福澤諭吉が仏教語をもとに作ったもので、この日の演説で福澤は「日本が欧米と対等の立場に立つ為には演説の力を附けることが必要」と説いた。

日照権の日

1972年のこの日、違法建築の隣家によって日照を奪われた問題で、最高裁が「日照権と通風権が法的に保護するのに値する」という初めての判決をし、日照権・通風権が確立した。

独立記念日 [ジブチ]

1977年のこの日、東アフリカのジブチがフランスから独立した。アメリカの社会福祉事業家、ヘレン・ケラーの1880年の誕生日。生後19箇月で猩紅熱の為に目・耳・口が不自由になったが、家庭教師アン・サリバンの教育によって読み書きを覚えて大学を卒業した。

ジブチ共和国の概要

面積:23,200平方キロメートル(四国の約1.3倍)
人口:100.2万人(2021年、世銀)
首都:ジブチ
民族:ソマリア系イッサ族(50%)、エチオピア系アファール族(37%)
言語:アラビア語、仏語
宗教:イスラム教(94%)、キリスト教(6%)

ジブチは、紅海の入口に位置する国です。エリトリア、エチオピア、ソマリアと国境を接しています。
スエズ運河を開削したフランスが進出して植民地としてきました。
アフリカ大地溝帯の北端に位置しており、特異な景観が見られます。国土のほとんどが乾燥気候で農業などは発達していません。
しかし、この国はこの地域の中では豊かな国です。ジブチの経済は、ジブチ港の貿易で成り立っています。
ジブチ港は隣国の内陸国エチオピアの海上貿易の中継点となっているばかりでなく、アジアとヨーロッパを結ぶ海上輸送路の拠点となっているため、中継貿易がこの国の経済を支えているのです。
このジブチには自衛隊初の海外拠点があります。
この付近の海域(ソマリア沖)は今日でも海賊行為がしばしば発生して、国際問題となっています。
海上輸送の安全を維持するため、フランスやイタリア、アメリカ合衆国などがここに軍事拠点を置いています。
2011年自衛隊にとっては事実上初の海外拠点を開設し、駐留しています。また、2017年には中国人民解放軍も拠点を開設しました。基地経済もこの国に政治的安定性と経済的豊かさをもたらしています。

今日がお誕生日の人

1947年 - ハンス・オフト、元サッカー選手、監督、76歳
  • オランダ、ロッテルダム出身。経歴17歳でプロサッカー選手に。1965〜76年オランダの名門フェイエノールトなどの4クラブでFWとして活躍する傍ら、コーチの資格を取得。その後’76〜84年オランダユース代表チームのコーチなどを務め、フリット、ファンバステンら世界のトップスターを育てた。この間、’82年、’83年ヤマハ発動機(現・ジュビロ磐田)の短期コーチに招かれ来日、天皇杯優勝に導く。’84年マツダ(現・サンフレッチェ広島)のコーチとなり、’87年監督に就任、日本リーグ一部昇格、天皇杯準優勝の実績を残す。’89〜92年3月FCユトレヒト(オランダプロリーグ1部)の強化最高責任者を務めたあと、’92年4月W杯出場を目指す日本代表チーム初の外国人監督に就任。同年11月第10回アジア杯初優勝。’93年10月W杯アジア最終予選対イラク戦に惜敗し(ドーハの悲劇)、11月予選を突破できなかった責任を取り代表監督を辞任した。’94〜96年Jリーグに昇格したジュビロ磐田の監督、’98年京都パープルサンガ(現・京都サンガ)監督(同年6月まで)を経て、2002年浦和レッズ監督に就任。2003年ナビスコ杯で優勝、チームに初のタイトルをもたらした。2008年9月前監督の解任を受け、12年ぶりに磐田監督に復帰、シーズン終了まで務めた。2013年日本サッカー殿堂入りを果たす。著書にサッカーコーチ入門書「COATING ハンス・オフトのサッカー学」がある。
  • 1850年 - 小泉八雲、小説家(~1904年)
  • 1880年 - ヘレン・ケラー、教育家、社会福祉事業家(~1968年)
  • 1919年 - 陳建民、料理人(~1990年)
  • 1935年 - レオナルド熊、コメディアン(~1994年)
  • 1936年 - 横尾忠則、美術家
  • 1940年 - オイゲン・キケロ、ピアニスト(~1997年)
  • 1956年 - 西本聖、元プロ野球選手
  • 1966年 - 立川談春、落語家
  • 1975年 - トビー・マグワイア、俳優
  • 1992年 - 本田翼、女優、ファッションモデル
  • 2003年 - 張本智和、卓球選手